コミケが近づいてきた!就活も後がない!

「大学三年生」的最近の、もっぱらの関心事といえば就職活動である。個人的など基本的にどうでもいいと思っているのだけれど、直感的に信号待ちで佐々木毅が「孤独な群衆」の意味を悟った(らしい)ように、感じ取ってしまったことがあるから、今回はそういう埋没しかかっている細部から始めたい。


国際展示場、ビッグサイトという言葉を聞いて連想するのは、まず真っ先にコミックマーケットであった。その存在こそ高校生のときには知っていたが、別次元のおとぎ話だったように思われる。初めて友人に強制的に連れていかれた大学一年の冬と、自ら飛び込んで風邪をこじらせた二年の冬の、たった二度しか参加していない。しかしコミックマーケットは初参加のときから思ったが、それはそれは異常な空間だった。それをすぐに肌で感じたのを記憶している。徹夜して並ぶ人間のなんたる多さ。本当は禁止されているのだけれども、その数は圧倒的なまでに多い。東京ディズニーランドの比ではなかった。誘導の係りの人に連れられて、ぞろぞろと逆三角形のオブジェ的建物前にの整列し、座ったのは深夜零時である。そこから約十時間ほど、肉体と精神は苦境に曝される。海に近い立地ゆえの風、冬の気温、雨場降ったときは最悪、そのまま十時間たち続けなければならない。当時初参加の自分は折りたたみ椅子なんて準備していなかったから、昼ごろになると意識がもうろうとしてきた。だいぶ話がそれたが、そこまでして自分を苦境に追い込んでまで、何を求めているのか、全くと言っていいほどわからなかった。僕は初参加当時オタク(おたく)ではなかったのである。そのうえアホみたいに並ぶ列に並ばされて、友達から受け取った報酬は夜食と昼食を現物支給という、どう考えても割に合わない一日だった。しかし友人を含めて周りの人間はみな、その状況を明らかに「楽しんで」いたように思われる。口では寒いなどの不平を言いながらも。そして十時間後、開始と同時に集まった群衆は狂気し、制止も振り切り走り、財布内に用意した無数の紙幣なり硬貨を、目的の場所にばら蒔き、物欲を満たす。すなわちその過程に、そこに理性はない! 最高度の「祝祭」空間である。

逸話なのか実話なのか、あやふやなものがある。ある人が目的のものを手に入れるため列に並んでいて、それが自分の目の前で売り切れになってしまった。そのひとは発狂し、手に入った周囲の人間に倍額出すから譲ってくれと云い、ことごとく周囲の人はこれを拒否(すなわち、等価交換ではないことの現れ!)し、あげく喚き散らして嘔吐するという、そういうことがあったようだ。

帰り際、各々が手に入れた物を、バックに詰めるだけ詰め、ブースで受け取った手提げ袋をいくつもかかえ、ばらばらと逆三角形の建物を後にする。帰り際に見る後ろ姿は、誰もが皆同じような背格好で、これをリア充(?)なる渋谷の人々から見たなら、口をそろえて「マジキモーイ」ということは間違いないだろう、というようなことを考えていた。自分から進んで参加したわけでないので、完全に「浮いていた」と言っていい。ちょうど銀杏に紛れ込んだ桜のような思いだ。


さて、そして大学三年の冬、就職活動もぼちぼち始って、当然のことながら合同企業説明会なるものに参加することになる。これがビックサイトで行われた。コミックマーケットと同じ場所である。苛酷さから言えば、企業説明会よりもコミックマーケットのほうが段違いに苛酷だ。並ぶ時間も、人数も、並ばされる場所も、諸要因でその二つは全然違う。

国際展示場駅に降り立って、毅然として正面入り口の階段を遠目で眺めたとき、「同じような背格好の人間」が、同じように階段もしくはエスカレーターを登り、同じようにあの長い通路を歩かされ並ばされている、という事実を目にした。もちろん、私もその中の一人であったのだが、なんだこの既視感は……? と思わざるを得なかったのである。そして、並んでいて、コミケと同じやん! と気がついて、自分で勝手に、独りで驚愕した。合同企業説明会を、友達も誘わず独りで参加のゆえである。漠然とした既視感が、鮮明なものになって、なぜか私は気持ち悪くなり、全身で拒絶し始めたのがわかった。しかしコミックマーケットのときには起こらなかったはずだぞ、あれれ……と思う私がいた。これは就職活動に身が入らない人間にしかわかるまい。疎外態であるから、こんなことを思ってしまうのである。

渋谷にいるリア充(?)なる人々は、「マジキモーイ」というだろうか。就活するために必死な黒服たちを見て。