現実を嘆かずに、「それでも」の精神


小飼弾「働かざるもの、飢えるべからず。」を読んで - phaの日記より

「働いている・頑張っている」と「食える・収入がある」の相関関係ってそんなにないよね、と思ってる。

 これに、多くの「働くために働いている人」は気づいていない。
 というか見て見ぬふりもあるだろうけれども。

あと、一定数(生活に困ってない)無職がいることは社会の精神的な豊かさに繋がると思うんだよね。

 やはり「豊かさとは何か」が問題になってくるわけだ。私の友達にも「金なきゃ生きてる意味ない!」って文字どおりの意味で公言してひんしゅく買ったというか、その後そいつに向かって「本気で思ってんの?」っていう風にして言ったら微々たるいざこざがあったけれど、「金さえありゃ幸せ!!」だと本気で思ってるやつの数は絶対数でもまだ全然多いだろうな。

僕は、そう主張していかないと自分がこの社会で生きづらいから、「別に働かなくてものんびり生きていったらいいよー」っていうのを多くの人に伝えていきたいと思ってるし、その言葉を聞いて楽になる人っていうのも社会には結構いると思う。

そして「別に働かなくても楽しく生きてていい」ということを伝えるためには、僕自身がいい年して毎日ぶらぶらしていてロクに働いてないけどそれでも何とかなるしすごく楽しそうに生きられるっていうことを自らの身を持って実証する必要があると思っている

 実証しろ!笑 
 それが「友情の点呼」だと思いたい。
 ただベーシックインカムはやるとなったら相当面倒くさいという現実悲観。
 そしてこのライフワーク的実証が否定されてしまうと、
 弱者な我々はひどく絶望することになる。

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http://diamond.jp/series/analysis/10144/

たとえば、国税庁の調査による「平成20年・給与階級別の給与所得者数・給与額」をひも解けば、全国の労働者のなかで、年収200万円以下の個人が全体の約31%を占めていることがわかる

中略

国民が「労働の権利」を有することは、日本国憲法第27条に明記されている。だが、それはすでに名目だけの金科玉条になりつつある。労働者の収入が、生活保護を受ける人々の収入を下回る「逆転現象」さえ起きかねないのが、現在の労働市場なのだ。

 これが現状だとして、現実を嘆かずに「それでも」の精神で、自分を支える。
 死にたかないから。