生まれてきた意味……なんて思春期チックな!!!

種村有菜の桜姫華伝の三巻が出た。
なので本屋で買ってきたw 
表紙に朝霧の半覚醒絵が載っていて
とてもとても幸せになった、が、
本編にはあまり出演していなかった(泣

で、以下その感想などなど。

第九話の冒頭がとても大切な部分だと思います。2ページほどの朝霧のシーンなんだけれど。(朝霧、やった!)この作品のテーマ?についてはありなっちもこまごまと書いていますねぇ。「生まれてきた意味」なんて考え始めたら泥沼で、思春期真っ盛りな人間がよく考えそうなことで、オトナは大抵よく考えることを諦めて大人になって、そういう意味も含めてありなっちの感性は思春期を脱せていないところにひきつける、俗語で言えば「魅力」のようなよさがあるのだと思います。このシーンで描かれている朝霧の愛いの表情は掌に乗った桜の、破顔のような咲く様子と対照的で、not人間であろうの朝霧が、この2ページで持たされた意味は深くて重い。

ただね、それに対して命字(=運命の示す)というのは、どんな役割があるのかなぁ。作中で運命をまっとうする方向に行くというより、自らの手で「掴み取る」方向にいくのだろうか。ありなっちが描きたい「生まれてきた意味」は、第九話時点での朝霧には遠いものだし、むむむ、今後に期待!

不老不死に関してですが、東方projectにいますよね。
えっと二人、、、おっと、三人か?笑

「永遠と時間」を持つ不老不死。神主は不老不死は結果として「退屈」だとしているけど、もこたんみたいな人間と「偶然」出会ったりして、退屈が退屈でなくなる。偶然にゆだねられる、というか偶然にしか突破ができなくなってしまう、それが不死・・・・・・だと想像する。とすると思うのは、不老不死もコンクリート合理化された現状みたいなもの(物じゃないよ)なのかなぁ。

不老不死のバックボーンというか、本当に詳しい話は公式には公表されていないわけで、そのうえで輝夜たちみたいな不老不死を二次創作としてよく描いているのはやはり、徒歩二分の紫vs藍ですな。で、まぁ、よくまとまってない話はどうでもいいとして、3巻の一番最後のほうに出てくるキャラクターの一人、舞舞が、マリみて瞳子に見えて仕方ないのは私だけだろうか・・・・・・。