鏡をぶち破ることと、絢香の歌で「見る」

もし小学生くらいの子が、「お小遣いって税金かかるの」って国の偉い人々に面と向かっていったら彼らはなんていうのだろう。面と向かって何で人殺しをしちゃいけないのに次ぐくらい、世間を驚愕させることが出来るだろうのだけれど、そんなことがあった暁には表ざたにはしないよね、彼らはきっと。きっと生放送ってトコロに意味があったんだろうなぁ。

さて今日は。

ラブプラスやモンハン等、仮想にどっぷりな人間を多数生産するものにはなにか、普遍的な何かあるはずだと思い、チョット考えてみる。まぁこれも思い付きにしか過ぎないんだけどね。まず外じゃなくて内に向かう土壌と、もうそれに対して無批判な自分を肯定するのが一番の問題だろう。それは絢香I believeのPVをみると明らかでしょう。「鏡」とは自分を批判的に見る術であるはずなのに、それを「捨てる」。そして自分を「信じる」。肥大しまくってる自我を批判せずに肯定するというのがもはや一般的なのは、ニコ動とyou tubeの再生率や「勇気をくれる」「強くなった気がする」とかいうコメントが示している。そういう気がするのは当たり前で、批判を受け付けないわけだからそこに一定の力が生まれる。


でも自分に無批判になるって怖いことなんじゃないかな。人間じゃなくてヒトだよなぁって思います。関係あっての人間なのにね。で、話を戻すとラブプラスとかモンハン見たいな奴は、実に巧妙に外側から与えられた目標に邁進すればいいわけだから、そこでの関係は他者ではない。同一視を抜け出せないチルドレンってかんじ? いつまでも成長できず、それを利用?して消費の現場に組み込み、成長は阻害され続ける。これぞ負の循環!今の社会は自分で自分を成長させないって状況を作り出し続けている。電車内の女子高生は、よく鏡見てるけど、あれは批判的に見てるのかと思いきや、恋慕してやまないことの表れだと考えられる。

で、これに対抗するには総入れ替えしかないってワケ。
自分の中身の。無理だとは思うんだけどさ!!笑

絢香と対比して鬼束ちひろも書きたかったし、追跡AtoZで知ったAKB48にも触れたいところだったんだけれど、なんか今日は突破口ないじゃんって話で終わってしまった。いやぁ、じつに暗い!でもこんな駄文でも、誰かが読んで、少しでも自分の状況を自覚してくれる人がいたらいいなぁ。人間になってくれたらなぁと願います。

それと、絢香のことが嫌いでいってるんじゃないカラね!!!勘違いしないように。I believeだって聴くからね、日常的に・・・・・・。好き嫌いの低次元じゃなくて、集合的無意識みたいな次元で考えて欲しいと、世の「普通な」人間に大して思います。気付いている人にとっては、稚拙な文章を平身低頭するしかないけれど。