そろそろスゴイの(アニメ)が出てくる気がする。

わぁいw持田あきのロイヤルストレート買っちゃったvvv
いいないいな、これw
今度まとまった文章で書評残そうっとw

さて今回はアニメ版、
「君の望む永遠」と「School Days


これら二つは「三角関係」「ヘタレな主人公(の浮気)」「協力者の裏切り」を含む。(それ以外にも似ているところは多々あるけれどw)という、まぁ構図が結構似てる作品であることは、知っている人なら否定しないでしょう。しかしこの二つの作品の最後は大きく違う。その差異を、今回は半ば無理やり抽出してみようかな。そこから何かいえるかもしれないし。笑 

話の大筋は、片方は希望ある終結にたいして、片方は自他全ての破滅である。ここには三角関係に決着をつける、つけないの違いだけじゃなくて、そこに踏み出させた人間関係が大きな要因であろう。主人公に対してべったりをし続けるSchool Daysは盗り合いが獲りあいになって、命の取り合いになる。この過程で、主人公には最後まで貫き通すような自己の倒壊は存在しない。タイトルに含まれる「みんなの」という言葉が、それを示唆する。一時的に、周囲の人間が「妊娠させたらしい」という流言で離れていく場面があるが、そこには精神の崩壊した女神の救済がある。救済がなければ、という「もし」の世界は考えないことにしても、救済があるから成長せずに、破滅の道を進む。

君の望む永遠では、別れを告げられたメインヒロインの過去には、「マヤウルの贈り物」という経験の胎盤を養ったと推測されるだろう物語があり、それによって主人公との失恋の時にも精神の崩壊ではなくて、成長へと向かうことが出来たのである。また、主人公は無条件に支えてくれていた水月との衝突、喪失によって、初めて「他者」に気付く。ここには認識の過程がしっかりと組み込まれていた。

二つの物語は構図こそ似ているけれど、内部の構造は大きく異なる。アニメーション的には初めてスクイズの最終回を見たときは絶句した(と言う意味ではスゴイ!)し、君の望む永遠はそれ自体おとぎ話として驚いたが、今、人間に勧めたいのは紛れもなく後者であることは間違いない。人間が人間でいられるのは一人じゃない時だから。

ところでクロスチャンネル買おうかどうか迷い中・・・w