「老年的努力」的超越 第3回

今年、そして2000年代の終わり。
新年早々バイトなんだけど、踏ん張って生きよう。]
紫色のクオリア (電撃文庫)への興味がむくむく湧く。
書評サイト「三軒茶屋」別館↓での2009ベストラノベだそうだ。
http://d.hatena.ne.jp/sangencyaya/20091231/1262247163
前から興味があったのだが、むむむ、これを機に購入を検討するか……


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 圧し掛かるような「実存」の呪縛から解き放たれたところに、自力救済のごとき超越の可能性を含むだろう。我々がすっぽり収まっている包囲網は欲望と欠乏の極めて頑丈な循環から成り立ち、「どこまでいっても満たされない」という感覚のみが動的に突き動かす。ステータスの誇示だけが自重を支えるか細い柱であり、ここにおいて人に手を貸すということは重心のずれ、すなわち自滅を表すことでしかないのである。これからも我々を覆っている幻想を壊し、新たな枠を構築ことは当分の間できそうもない。しかし、エリクソンにおける老年期の研究から幽かにうかがい知れる、人と人とを互いを認め、単一のレールの上でも改めて繋ごうとする超然としたバランス感覚で保とうとする営みの中に、「クジラの腹中の異物」として「動かしえない小さな存在は、それが外側から動かしえないものである以上、却て多数派を動かす要因となりうる」(藤田省三)という言葉が実現可能なものとして、ごくわずかな可能性を佩びるようになる。


 老年的バランス感覚又は他者との相互主体的な交渉が超越の兆しを産み落とす。触れればたちまちに割れてしまいそうな「希望」という言葉は、ヴァレリーの見抜いたようにそれそのものが「不信感」の裏返しにすぎないとしても、放り棄てられた我々がふとその事実に気付くまでと変わらず、至極日常的、普通的、リア充的装いを全身に被ったり纏ったりして生きなければならない場所で生きていく限りにおいて、最後の防波堤となりうる。「メシア的約束にも劣らぬ約束」である。そんな世界の只中でも変質や変革や変容は、本当の「野党精神」によって初めは誰に知られることもなく、ひっそりと小さく始まるのだ。今も昔も「変わらないもの」は何時だって眼前にある。誇示するほどに剥がれ落ちる崩壊との転換的な足音はすぐそこまで迫っている。拙文を書き殴る若輩者の耳にすら聴こえてしまう足音が。


「動かぬものを打ち破ろうとしている人間は、友情を実現する機会を見逃してはならないのだ」(ベンヤミン


引用文献
全体主義の時代経験 藤田省三 みすず書房
ベンヤミンの仕事2 ボードレール ヴァルター・ベンヤミン 岩波文庫 
全3回 この文章はとある同人誌にも公開されています。