「老年的努力」的超越 第2回


さてさて、今年も残るところあと一日と7時間ほどですね。
皆様いかがお過ごしでしょうか!

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 ビルの向こうの青い空を「遠視」できないほどに、想像力の欠如した我々は、人間的なものと非人間的なものを同時に写し取る「眼」をもっていると意識してもなお、困難であることに変わりはない。重力に逆らうがごとく意識の上に昇らせるためには茫然自失となっても視線を注ぐこと、「極度の覚醒」、とりわけ敏感になることを持ってしか出来ない。そのような遠視によって世界を眺めたとするとき、世界は歪に変容したようにみえて、実は思いのほか美しいことがわかるだろう。


さてここで、「うみねこのなくころに」というゲームを紹介したい。ここからはかなりのネタばれを含むので、読むのであればそれを承知の上で読み進めてほしい。


 このゲームは現在、この拙い文章が公になるときには第六篇までがプレイ可能になっていることと思う。しかし私は第四篇までしか読了していないため、このゲームに対して回答編を見る前の過剰な期待を元に書かれている。また未完の作品を扱うことについては甚だ不本意ではあったが、出題編でもある前半四篇は、それを補うほど十分に、口を挟む価値があると思っている。
 六軒島という閉鎖された島での奇怪な連続殺人事件の話である。出題編では四度、若干の変化を含みつつも連続殺人が起こる。主人公(戦人)は魔女の「無限の魔法」に囚われ、勝ち目のないゲーム――それは連続殺人を魔女ではなく、人間がやったものであると証明すること――を行う。第二篇までは「囚われた主人公」と「捕らえた魔女」の構図が頑丈で、プレイヤーたる「魔女狩り人」たちは、そこに推理の余地はほとんど生まれない。ワンサイドゲームである。しかし三篇、四編と話が展開すると構図が逆転する。捕えているはずの魔女が実は「囚われている者」であり、主人公は魔女を「解き放つ者」へと転回する。そして第四篇の最後、それまで「魔女狩り人」が内心否定しつつも、その存在を否定できなかった魔女の「私はだぁれ?」という謎を持って終了する。


 この最後に明かされた謎は、真相解明を目指す魔女狩り人にとっては今も解体できていないようだ。それも当然のことで、「大衆的規模における自我の時代」では、「私はだぁれ?」という問いは自己否定性を持ったものとしては考えられない。リア王では、道化の「リアの影さ」という返事が「私は何者か」という問いへの自己否定性を明らかにするが、「うみねこのなくころに」で道化の役割を持つ存在が抜け落ちている。その役割は推理するプレイヤーの努力にゆだねられている。
初めは魔女を否定(推理)し、真相を暴くことが主人公の突破につながるが、転回して、真相を暴くことが物語終盤では魔女を救うことになる。(他者を救うことと自己を救うことが一致する!)しかしそれだけで終わらず、誰もが一度はもつであろう「私は何者なのか」という問いが残される。その地点では自己と主人公と魔女の三者が同様の問いを抱えることになる。すなわちゲーム内の問いに答えることが擬似的に自己への問いに答えることに重なっている。


 「ほかの何者でもない自分」を認められない、といったことは通常誰もが思うまい。しかしそれは思春期段階において立ちはだかるように、突然の疎外――リストラや定年退職で「自分の価値」を見失う時――を受けとめなければならない時に痛切に立ち現れてくる。「あるがままの自我を肯定」して生きている我々は、そうなったとき初めて自己に痛烈な疑いと否定を向けることになる。しかしその時すでに、保護の繭からはみ出ててしまった当人には、元に戻るという望みは叶えられるものではなく、それは「無への執着」に変わっていき体現される。――俗世ではこれを「自殺」という。
リストラや不慮の事態で疎外された人間は、破滅(ここでは経済的なものによる場合が大多数であるが)を目前にしている。同様に、老年期における人間も、死(=破滅)を目前に控えながら生きている。ここでは老年期に至った人間の超自然的なバランス感覚に学ぶことで真っ暗闇な奈落の底の一歩半手前で踏みとどまることの助けとしたい。


 老年期における「生き生きとしたかかわりあい」のことを真剣に考えたのはエリクソン夫妻とギヴニックだった。一編の映画と膨大な量の聴き取りを通して、物事への関わり合いは事実性と相互性という性質のみが真に生きたものにできるという。老年期であればその関わり合いは、子供や孫のことを思い、彼らとの人間関係に参加することである。その関わりあいが、体力的に衰えた老年期の人間のなかにある既存の人生価値を、人生を生きる価値あるものにするという超越を生む。アイデンティティアイデンティティの混乱との緊張を再統合再経験しようと努力するバランス感覚が、「成熟した信念」を構築できるのだ。
 
全3回 この文章はとある同人誌にも掲載されています!