私のやろうとすること


 私は基本的にこのブログには、読んだ本や見た芝居や聴いた音楽についての良い面しか書かない。だからそれについていちいち、こんなのに感動できるなんて、とか、こんなので衝撃を受けたなんて、などという瑣末な思いに対しては一切相手にしないだろう。だれが見てもゴミみたいなものでも、そこから一欠けらでも構わないから、良さや純粋な力を抽出できれば私にとっては「それ」でいいの。客観的な評価なんてものは別に求めてないし。言い方はよくないけど所詮自己満足の世界だから。だけどね、物事に対しての好き嫌いってのは誰にでもあるから、そういう意味で私の書く対象や、書き方や、すべてを受け入れられないってこともあるだろうね。

 
 という前置きが、多分これからの私の活動には必要なんだろうなって、感じた。だから書いた。書き残した。だらだら書いていく中で知識的誤りがあったなら認める。でもきっと、私がこれからやろうとしていることは、0から1を生み出すような、そんな、夢、幻のおとぎ話の世界であり、張りぼてみたいな虚構の世界にとても近くて、「ツギハギ」した元の引用文献も全部載せていると大変なことになると思う。だからそういうところは手薄になってしまうだろうけど許してください。(笑)場合によってはちゃんと載っけるから。


 でもそんな「誇示するほどに剥がれおちる」かもしれない作業を通して、いつか錬金術的とでも魔法とでも「砂糖菓子」とでも言われてもいいから、「剥がれおちないもの」を、天文学的にあり得ない可能性しかなくても、残せたらいいなと思う。歴史に残るんじゃなくて、どこかに残ればいいなと思う。場所的じゃなくて、どこでもいいんだけど。そんな感じであるがままの自己を肯定するん「じゃない」けど、せめて自分で自分を認めて生きていこうと思う。凍結した記憶もすべてを生かすべく。

 
 周囲を見渡しても、どこを見てもガラクタやゴミだめにしか見えなくて、さらに言えば自分もそこに埋まっているなんていう八方ふさがり満身創痍の状況。でも、それならそれで、その極地まで行って、ゴミやがらくたから、ほんわかしてほっこりして生命力のある何かを見つけていきたいと、そう思っているのです。そうした些細なことから、力強い生命力を分けてもらったりしながら、これからも生きていこうと思うのです。


 はてなに移転して一ケ月がいつの間にか経っていたけど、これからはまた、すこしずつ文体や文章が変わっていくかもしれませんね。ああ、なんでこんなこと書いてんだろ、珍し。まぁいいや、そんなわけでこれからも駄文拙文を長々と、そしてひっそりと、日陰にいながら発信していこうかと思います。理解は求めてない!、が、千行のうちの一行でも共感もしくは理解してくれたら、そんなひとが6,000,000,000の人間の中にひとりでもいたら嬉しいなとか思っている2/4のことでした。