質的心理学、端書2


 「事例研究」というのは、結構昔からある。
 ルリヤによる記憶力の研究や、オールポートの研究、逆さめがねにいたっては19世紀末くらいからある。こういった特殊事例の研究をするたびに問題になるのは、客観性の問題。数量的に(今でいう統計学を駆使するような方法で)、事例に対してアプローチしているわけではないので、そこで得られた知見の一般化に際して、時代背景もあってか客観性の問題はどろどろネチネチ付きまとっていた。


 最近(1990年代以降)の話。
 ヨーロッパその他、日本でも「質的研究」というのが流行りだしてきた。最近では日本でも質的研究の入門書(訳書であったりそうでなかったりする)なんかが結構出ている。心理学の世界で伝統的にあった数量的アプローチ、「それでは零れ落ちてしまうもの」を質的研究で包括するのがメリットっちゃあメリットになるからだと思う。


 発達心理学は20世紀になって発展した分野だとどっかに書いてあったけど、観察法とか、良くやるイメージ。あれも事例研究を超え、質的研究と呼ぶひとが出てくるだろうな。さて、そんなこんなで昔から事例研究はあるよ(ひっそりと、かも知れないけど)というのは認識して頂けたかなと。


 ここで本題(?
 質的研究は昔から行われてきた事例研究と違って、どこに科学的性質があるのか


 これは言いかえると、今まで(柳田以降?)行われてきた事例研究と、どこがどう違って、何を持って客観性を持っていると言われるのかってことだと思われます。今のところの理解だと、質的研究と一口に行っても、ベースとなる理論が人、研究によって違うから、その評価は一基準で判断できない、、、とみてよさそう。じゃあ、それらの研究は何を持って客観的だと主張しているんだろうか。


 やはり前回の端書のように、厚い記述とか相互……かな。


 ここからは思いつきですが。
 自分の中では「客観性=科学的性質」だという暗黙の前提があるようで、案外これが最大の障害なのかもしれないと思った。なにを持って客観的とするんですか? っていう問いに対して、Aという理論武装をしてます!っていう答えは、まったく客観的じゃない。万人が同じ認識が可能⇒客観的っていうのが妥当かなぁ。
 量的研究における客観性と質的研究における客観性はちがうんだ。うぎぎ。
 今までの研究にない、最近の質的研究に付与された科学的性質とは……。


 シングルサブジェクトスタディとかは、別の機会に。