事例研究、端書。


 今日は中華街に行ってくる予定でしたが、
 例によってドタキャンが相次ぎ、企画倒れ。笑
 緑色のあれ、また食べたかったな。
 

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 さて、心理学における事例研究は、最近こそ質的研究なんて言葉もよく出てくることになったりだけれど、「科学的観点」から、やたらと批判されることが多い。というのも、推測統計学が流行り始めたころから、多くの事例にみられる法則普遍性を求める方向に、パラダイムそのものがシフトしていったためであると、いくつかの書籍を眺めた感触ではいえそう。


 で、量的なアプローチと事例研究のアプローチの関係性は今回は置いておくとして、「事例研究の役割」なんかを吉村浩一の論文、「心理学における事例研究法の役割(1989)」の「おわりに」からまとめておこうかと。いきなり末尾ですが。  


◆おわりに、より。
「現場主義の観点」に立てば、実験による検証よりも、現場での検証の必要性が高い。そしてこれを、事例研究が担うことになる。ただ統計法で支えられた今日に至る研究法と、同じ次元で事例研究を評価することができず、だからと言って科学の基準に近づく努力を怠るべきでない。例えば行動主義の流れを汲む研究には、その方向への努力は真剣にすすめられている。


 科学的な質を高める方法は、事例研究ごとに大きく異なる。
 (発達や変換視や動物実験を一緒くたには扱えない)


 そのため、各々の「研究者が自ら行っている研究を質的に高める努力が必要がある」と述べ、1989年当時の科学主義パラダイムからすれば相対的地位の低さゆえ、無批判に事例研究を繰り返すことの無意味さ(無価値なデータの蓄積になること)にたいして警鐘を鳴らし、筆を置いている。

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◆以下感想。
 最近、この論文から20年余りたった現在、質的研究の入門書が日本でも出始めて、同じようなこと書いてないか?と思ってしまった。方法論として、相互主観性のようなものが載せられているにせよ、何がどう、20年で変わったのか、はっきり言って私にはよくわからないというのが、感想。
 

 これはもう、発達心理学認知心理学の雑誌の、具体事例に当たりまくって例証するしかないのかなぁ。実際、事例研究そのものの客観性の確保にまつわる諸問題は、向上、改善しているのだろうか? はたしてそれが生かされつつあるのだろうか?