ココロコネクトの「理解」と「解釈」第6回

その六:ニセランダムと「ナルシズムからの脱却」
 ちょっと、言葉遣いに疲れて来たので、語り口を変えます。
 第五巻では新入部員の千尋の視点が中心となる物語である。今回描かれるのは、発生する不可思議な状況の原因でもある千尋の、「世界の再構築」が行われる過程である。藤田省三から言葉をかりれば、それは「世界の再構築を内包する精神のドラマ」が描かれているといってもよい。それは物語終盤の、次の機微に現れている。
 「待命中の生」(オルテガ)の状態に加えて、「自分の都合のいいように、世界を勝手に変えていた」という物語冒頭部の自分を対象化し、「自分の世界を構築しているのは自分」と気付き、先輩に背中を押され、家族という一番身近な場で一歩踏み出す(「世界を変える」)過程である。
 
「雪がコンコン降る。/人間は/その下で暮らしているのです。」

「でも青空は綺麗で――ああ、
 もう気付いてるんだろ。
この空はいつだって変わらない。
いつだって美しい。
いつだって素晴らしい。
世界はいつだって、あるがままに存在している」

いきなりの引用に戸惑う方も多かろう。一つ目は藤田省三、二つ目はニセランダムから、新キャラの一年生:千尋の心象描写からの引用となる。この二つに私は既視感を覚えずにはおれない。「相互的な集合の結果、『他社』の存在を確認し、我々の外に立っている物の自然な世界を蘇らせ」た、千尋の今後が楽しみである。
「世界像の劇的転換」が行われ、「超越」が起きていることを繰り返し語るまでもない。