今週のお題/愛と萌えのお話1


 春が来たら酒飲みます、決まってるでしょう。

 東浩紀ツイッターで「ぼくは、もし愛と萌えの境界を画定できたら、言い替えれば「他者」と「キャラ」の境界を画定できたら哲学史に残ると思うよ。けっこう本気で。」と言ってることだし、まぁ少しは貢献できたらいいなという軽い気持ちで、大学生だし時間を費やしてみる。この話は1だけど、何回続くか不明、というか一回きりの打ち切りになるかも。


前置き。


 藤田省三の本を読み漁って、授業に真摯に取り組んだ結果、経験とは「他者認識の過程」なのだという。というのが私のベースなので、そこ(他者の認識)から話はスタートする。藤田という私を悪の世界に導いた悪代官の世界は、それをヘーゲル的なと言っていいのかわかんないけど、他者と自己がバラバラに、初めから想定されているような世界ではない。他人から他者を見つける(というとちょっと違うんだけど)、認識されて初めて「他者」になりえる、というような感じ。


 ささやかながら具体例をあげると、電車の中で化粧している女子の高校生が、周りの人の目を気にしないのはそれが女子高生にとって「他人」だからであって、他者の前ではそんなことできねぇよってのが、藤田的なものだと思われます。で、そんなことを一年間思考し、繰り返した結果、「他者は他人ではない」に行き着いたというわけ。そこで、この一年でやったことプラス、冒頭の東浩紀の言葉(とくに太字)にピピーンときて、二つを並行させて考えよう!とか思っています。つまり、
 ・他者は他人ではない。
 ・他者はキャラではない
 を並行させて行くということで、逆に言うとそれしか私にはできないので、そんな風にしてまっすぐ進み続けようかと、そんな前置きが、ここまで。自他の分離のお話は、発達心理学で、幼児は母親を同一視するけど、だんだんと母親を自分とは別物と認識していく、というのにとっても似てる。繰り返すけど、初めから自他が分かれて存在してる(っていって通じてる?)世界観は、これからの記述には登場しません。その辺よろしゅう。



 それと今現在未修で、とてもとてもこの先必要とされると思われるものに「境界」というものの定義があるんですが、非常に困っています。