リチャード三世読んだ


 シェイクスピアのリチャード三世の中に、「友愛」という言葉が出てきた。この言葉、最近何かとメディアでも取りざたされている。我々に欠如してるから某政治家は説いたんだろうけども、実際問題難しいですよね。何か形にして、というのは。「憎悪を友愛に変えたのだ」というエドワード王の言葉と裏腹に、その後も血で血を洗う争いは続くわけで、こういうのって、なんかなぁ。


 以下、昨日の記録保持。私はベーシックインカムについて、実験的に認めてはいるけど実際実行するとなったらどうなんだろうという立場であるようだ。実験的にというのは、やってみて初めて分かることが沢山あるだろうっていう、考えに基づいてる。


 用語の使い方・公共とか、超越とか。をもう少し定義してから使おうと思うけど、むずいなぁ。やればやるほどに勉強量の不足が目に見える。笑 ・「理性」は我々の側にあるべきだ、に近い。制度が理性を→製品が理性を、のほうが適格という指摘が。「老年的努力的超越」にて。エリクソンの説明も明らかな不足だ、うわぁ。